きみはきっと大丈夫


帝国劇場に立つ那須くんは特別に光って見える。身体の内側から光を放つようにきらめくその姿は、まるで燃えているみたいだ。

こんなにも特別に思うのは、初めて那須くんに会えたのがこの場所だったからかもしれない。外の光を含んできらきらゆらめくステンドグラス、何度も踏み締めたワインレッドの絨毯、ふかふかで落ち着く椅子に、それぞれの想いを持ち寄った観客たち。どきどき、そわそわした甘い空気がちょっぴりこそばゆい、そんな気持ちにさせるこの場所が好きだ。

たくさんのライトを集めて浴びてそれでも負けないくらいに光り輝く那須くんがとびきり特別な存在で、そして、とびきり眩しい。



1月16日、カレンダーに書いた21個の星マーク。何度この日をむかえても愛おしさがとめどなく溢れる。だいすきな人、憧れの人。最愛の人のお誕生日。

那須くん、21歳のお誕生日おめでとう。ちょうど1年前、はたち!?成人!?!?とびっくりしていたのもあっという間に時間は過ぎて、那須くんはまたひとつ年を重ねて大きくなった。


20歳といえばやっぱり節目の年齢であり大人になったと目にわかる数字だからなのか、私は20歳の那須くんを見ながら幼い頃の那須くんを思い出すことがとても多かった。

懐古と言えるほど昔の話ではないのに。出会ったとき、小さく華奢に見えた肩は少しこわばっているように感じたし、この子は色々な人やものに警戒心を持っているのかなとぼんやり思っていた。そしてたぶんそれは、間違いではなかった。
少し前に更新された動画で、「あの頃は全方位に尖ってた」と話していたね。それを周りの子たちも当然知っていて、そんなこともあったねなんて今じゃ笑い飛ばせることなんだろう。それでも私は、まだ出会っていなかったそのころの那須くんを思って胸がちくちくと痛んだ。

グループができたばかりのときの話を初めて聞いたときはかわいらしいなぁと笑っていたけど、まだ世間について右も左もわからないような年齢の小さな子どもが、異質な事務所の暗黙のルールみたいなものを理解してグループを守るために小さな手で大切に大切に繋ぎとめようとしていたこと。
笑うことなんて、もうできなくて。小さな手を、華奢だった肩を思って、心が押しつぶされそうになる。
好きになったときにはまだ持っていなかった怯えに似た感覚を今さら知ったのは、那須くんが大人になったからなのか、自分が歳を重ねたからなのか、わからないけれど。



でも、出会ったばかりのときのきりっとした目つきやひやりとしたオーラをちゃんと残したまま、那須くんはすっかり大きくなった。
大人になった那須くんは、ふんわりと、これでもかってくらいやさしい顔で笑う。その笑顔には「尖ってる」なんて言葉は似合わない、あたたかさがある。
大切なものを繋ぎとめようとしていた手も大きくなって、時には隣のメンバーの背中を支え、時には客席の隅々にまでぶんぶんと頼もしく振られるようになった。

まだまだ幼かったはずの心に自分で火をつけて、燃やして燃やして燃やし尽くして過去を燃料にして今でもずっと光り続けていることが、痛いくらいに愛おしくて。本当にやさしく、そして愛おしいって瞳で客席を見ているその時間が、途方もなく嬉しくて。

尖ってた、なんて言われた、那須くんは強くてやさしい大人になった。






大人になると自由が増えるけど、そのぶん世界が暗く見えることも多くなる。

これは本当に勝手な想像でしかないけど、那須くんは自身の弱さや影の部分をこちら側に見せないように努めてくれてるのかなと思っている。もしかしたらそんなことはないのかもしれないしこうやって想像されるのも不本意かもしれない。(ごめんね)
でも、理不尽な憶測や真っ赤な嘘が溢れた世界で生きる大好きな人を、心配せずにはいられなくて。こうして紡いで綴って願ってしまう。届くことはきっとない、なんてちっぽけな、取るに足らない私の言葉。

それでも、届かなくても。大好きだから、だから那須くんがくれた魔法の言葉をお返ししたい。那須くんだけに贈りたい。
大丈夫だよ、って。



まだ寒さも残っていた昨年の春、曇り空だったあの日、那須くんが私たちの手のひらに渡してくれた星のかけらみたいにぼんやり光るあたたかい言葉。「ぜったいまた会えるから、大丈夫だよ。」

コンサートが終わって、次の日の仕事に備えるため早々に会場を後にし走って乗り込んだ新幹線の窓際で。ひと息ついてから、それから何度も心でとなえた。本当に魔法みたいだったんだ。

大丈夫、大丈夫。また会えるから。大丈夫だよ。





昨年読んだ本で、海外の映画に出てくる男の子に憧れた子どものお話があった。そのお話は常に第三者視点から語られ、主人公は「きみ」と呼ばれる。

小さな町に住んでいる「きみ」は中学生で、まだ世界を知らないこどもだ。「きみ」は好きな映画に出てくる遠い土地に住む「かれ」のことを、想い続ける。家族に「こういうのがタイプなんだ」「外国人と付き合いたいの?」と笑われても、同級生に映画のチラシを取られてからかわれても、想うことをやめなかった。

最初は、「きみ」は名前なのかと思い、読んでいる途中で「君」なのかとも思った。でも、このお話の最後はこう締めくくられていた。

きみはこれから大人になる。胸いっぱいに抱えている憧れはたくさんのちいさなかけらになって散らばっていき、これから進む道のあらゆるところで、きみはふたたびそれらに出会うだろう。

きみがもうすこし成長してから手にする香水瓶に、かけらはある。動物園の七面鳥の羽の下に。はじめておとずれた大きな街の書店の棚のあいだに。偶然耳にするピアノの音とともに。
きみが手にするパスポートにはさまっている。降り立った遠い国の土の上に。濃い青色の空と地平線と、かわいた風の中に。

いつか綴りはじめるきみ自身の物語の一行目にも、憧れのかけらはひそんでいる。大切な、いとしいきみを、そこで静かに、じっと待っている。だからそう、今みたいに顔を上げて。
深く息を吸って、ゆっくりと吐いて。きみはきっと、だいじょうぶ。


読み終えて、ああこのお話の「きみ」は、「君」であり、「私」なんだと思った。読者が持つ憧れのかけらを思い出させてくれるような物語。

私も、那須くんのおかげでたくさんの憧れのかけらに出会った。好きになってからずっと、那須くんは私の憧れの人だから。
青色のかばんや小物に、お洋服に、職場で使っている那須くんがおすすめと言っていたボールペンに。たくさんの茄子料理に那須くんに会うために訪れた土地に、会場の客席に。憧れのかけらはひそんでいたんだよ。

そして那須くんもきっと、幼い頃からの憧れのかけらをたくさん拾い集めて歩いてきたんだろう。憧れの大きな背中を追いかけて生きてきたのだろう。

授業を終えてレッスンに走る銀杏並木に、青いボールペンで綴ったノートの切れ端に。
幾度となく袖を通した学ランに。たくさんのスパンコールと拘りが縫い付けられた衣装に。憧れの人にプレゼントしてもらった宝物のスーツに。
シアタークリエに、EXシアターに、帝国劇場に。
那須くんの憧れのかけらはひそんでいたのだろう。

そして今度はそれが、まだ単独では立ったことのないステージに、スタジアムに、東京ドームに、国立競技場に。まだ手にしたことがないデビュー曲のCDに。ひそんでいるんだろう。憧れのかけらはきっと那須くんに会えるのを楽しみに、静かに待ってくれているのだろう。

だから、大丈夫だよ。











…と、毎度のことながら重た〜〜くて長〜〜い文章になってしまいました。笑 まあね自己満ポエムだからね!(ほんとすみません)

あらためて、那須くん。那須雄登くん。本当に、本当にいつもありがとう。あなたは私の大切な人です。改めて書くと照れくさいけど(←こんな長いポエム書いてるのに!?)だいすきだし愛してます。


今年は公演ごとなくなってしまったから会うことは叶わなかったけど、元気でいてくれたらいいな。また絶対会えるから大丈夫だよね。
21歳もすこやかに、どうか楽しく笑って過ごせる日々でありますように。もっともっとスーパーキラキラアイドルを極めてたくさんの人に光を届けられる一年でありますように。

美 少年が一緒に笑っていられる日々が少しでも長く、できることならずっと続けばいいなと願っています。
そして私も、那須くんが、美 少年が描いた未来を点ではなく線で、見守ることができたらいいなと祈っています。






いつも、どんな舞台のどんな客席に座っても自然と視界に入る。かちりと音を立てて世界のピントが合う。とらえた瞳が、心が揺れる。きっとこれからも憧れのかけらを拾い集めて、想い続ける。

私のちっぽけな感情も言葉も、きっと那須くんには届かない。届かなくて良い。でも、魔法の言葉をとなえて想いをこめたペンライトの光だけでも、届いてくれたらいい。


本当に、どれだけ言葉を尽くしても足りないくらい、いつも感謝しています。お誕生日おめでとう。どんな舞台に立ってもその度に光って燃える那須くんを、今日も想うよ。
きみはきっと、大丈夫。