星をあげる

無数の想いが積み上げられた場所に独りで立つあの子は、さみしくないだろうか。向けられた刃の鋭い切っ先に怯え、泣いていないだろうか。
あの子の柔らかで、あたたかい心を守りたい。 冷たく無機質な悪意の雨に打たれないよう、傘を差し出せたら。暗い海を泳いでいくための道標となる灯台みたいな、光を渡せたら。

星をあげたい。世界で一番きらめく、大きな光る星を。
そんなことをずっと、ずっと考えていた。



今日は最愛のひと、那須雄登くんの22歳のお誕生日! はたちを迎えたのがつい最近のことのようだし21歳のお誕生日はあれ、昨日??と思ってしまうほど、時の流れを早く感じる。(毎年言ってるね)

21歳の那須くんはやっぱりとってもかっこよくて、昨日より今日の方が好きで、きっと明日はもっと好きだろうなあと思う日々だった。それは那須くんが自らの力で輝こうと、光ろうとしていたからだと思う。

那須くんの光は簡単にほどけることなく、刺繍のようにあの影に縫い付けられている。その光は、好きになってからずっと見つめてきたからこそわかるところもきっとあるはずで。

私は那須くんの自信家なところが好きだ。
決してでしゃばったりやりすぎたりはしないけど、新しい場所でいつも自信に満ちた顔でステージに立ち、ぴんと張った背筋、くらくらするほど眩しい大きな背中。その自信は、きっと勝手に湧いてくるものではなくて那須くん自身の努力に裏付けられたものだと思っている。こうやって決めつけるように人柄について書くのは本当は避けたいのだけど、那須くんは真面目で目標や夢まで前だけ向いてこつこつ頑張れる人で、その過程が座標みたいにつながってぜんぶ彼の輝きにそそがれているのだと、そしてそれが周りから得る信頼や花束のように向けられる愛に結びついているのだと、ずっとそう思っている。



でももしもその自信をすべて削られてしまったとしたら。もういいや、とあきらめてしまったら。
光を失って、星を追いかけなくなる日がすぐそこに来ているのだとしたら。

そんな不安を手にとる日がこんな近い未来に来るなんて、思っていなくて。

あの頃は、いちばん大切な人が四方八方から傷つけられているのを見ているのが本当につらくて、ここからいなくなってしまうかもしれないって怖くて怖くて仕方がなくて、おびえながらスマホを覗いては安堵と恐怖を繰り返していた。食事も最低限とれるかどうか、毎晩眠れず、それでも規則正しくやってくる朝を迎えては何度も涙をたたえながら仕事をした。
(今思うと本当に重すぎてやばい)
支えにしない、していない、つもりだったのに。ひとりで立てているつもりだったのに。こんなにもぐらついてしまうなんて、情けなくてまた泣いて。


でも。不思議なもので、涙に滲めば、もらったものがより鮮明に見えてくる。私の生活の中に、那須くんがくれたものが降り積もっていることを改めて知る日々。

たまたま入ったお店の有線で那須くんが好きと言っていた曲が流れて、当たり前みたいに那須くんを想う。仕事中いつも手にするのは那須くんがお気に入りと言っていた0.38mmの細いボールペン。なにか見ようと配信サービスを開けば那須くんが好きと言っていたドラマや映画がリストに入っていて、本棚には那須くんが読んでいた本が並ぶ。自然と増えていった青い小物、真似してそろえて買った指輪に香水。那須くんや美 少年を通して出会えた、綺麗なもの、楽しいことを分け合えるお友だち。お守りみたいに呟くくせがついた「大丈夫」って言葉。お気に入りの写真立てに入れて飾った、くしゃりと笑い皺が猫みたいにかわいくて大好きな、大好きな那須くんの笑顔。

生活の中に、心の奥底に。降り積もったたくさんのものをなにひとつ、手離したいだなんて思えなかった。



私はずっと、"信じる"ってなんだろう、とずきずき痛むように思っていた。好きだった人たちがアイドルをやめる経験を何度もしたからこそ、「信じてるよ」なんて、道を狭めるだけのエゴになってしまうかもしれないって思って言えなかった。でも、私は那須くんを信じたい。これから先のあなたを信じるって、強くそう思った。
それから、ずっと自分本位で身勝手な感情だと思っていたのに、守りたいなと思った。もたれかかり支えてもらって、依存だと言われてしまえば否定できないような私でも、大切なあの子を守りたい。「大丈夫」のひとかけらになりたい。
好きになってから何度も私の心をすくい、大丈夫にしてくれた那須くんを、今度は私が大丈夫にしたかった。

依存だと言われれば確かにそうなのかもしれない。 でも、どれだけ自分に問うても、想う温度は一向に冷めなかった。


信じたいな、大丈夫って伝えられたらな、と思っていた時、本人の言葉をやっと聞くことができた。人目につかないよう必死に声を殺して泣いて、言葉のひとつひとつを飲み込んだあの日を忘れない。

那須くんの書いた文章の中に、「傷つけて」という言葉があった。ああ、そうか。私は傷ついていたのか。
「傷つけて」という言葉を額面通り受け取ったわけではない。那須くんに傷つけられた、って振りかざすように言いたいわけじゃない。
でも本人に言われて、初めて気づいた。那須くんを大切に想う心ごと、傷ついていたんだな。


これは邪推だし見せたくない部分かもしれないけど、きっと那須くんだってぼろぼろで立っているのがやっとかもしれない。でも次の舞台はすぐそこで待っている。

私に何ができるのかな、と考えた。でも答えなんて、ずっとひとつしかない。あなたがこの船を降りないのなら、私もこの船を降りない。何度だって見つけ出してみせる。そうして、また「見つけてくれてありがとう」って笑ってくれる日を待ちたいんだ。
美談にしたいわけではない。でも想って泣いて眠れなかったあの日々も、この傷も痛みも、消えない私の一部だと思いたい。幸せでうれしかった思い出だけじゃなく、このかなしみも全部を抱えて生きて愛していたい。こうして言葉にすれば重たすぎる足枷みたいだけれど、かなしみの中にこそ光はあると知っている。私はその光を自分で選んだ。


そして、もしも那須くんが光を失いかけているのだとしたら、暗くてなんにも見えない道を歩いているのだとしたら。星をあげたい。あの子が望んでいたような、一番眩しくて、永遠に光る星を。
星を渡して、あなたの手のひらはこの光をつかめるって、そう伝えたかった。



そんな想いを身体いっぱいに詰め込んで、8月、東京ドームに足を運んだ。それぞれの色を持ち光るアイドルたちの中で、ひときわ光る姿を見つけだす。

ステージの周りが湖みたいに青く光がゆらめいて、その真ん中で、これでもかというくらいやさしい顔で手を振る那須くんがいた。ああ、よく知っている。手のひらを開いたとき中指と薬指がくっつく癖。変わらない癖が今更、とめどなく愛おしくなる。思わずぼろぼろ泣き出した私の背中を、隣にいた友だちが支えてくれた。

暗く染められた髪はライトに照らされ青を帯びた色に光る。どこか控えめなようで、でも確かな熱を含んだ瞳がきらりと瞬く。

星だ、と思った。私が渡す必要などないくらい、やさしくぼんやりと、でも強く光っていた。ふと、青く光る星はいちばん熱く燃える星だから那須くんにぴったりだねなんて話したことを思い出す。何万ものペンライトが織りなす光に負けない青い星が、そこにいた。


ずっと、ずっと滲んだ視界で見つめていた。ステージの上から手を振って「ありがとう」と何度も繰り返し言っているのがわかって、私に向けられたものじゃないのに、また心にかけた錠前を開けてもらうような気持ちになる。那須くんのふわりと下がる目尻を見ると、いつもほっと胸があたたかくなる。出会ったときからなにも変わらない、当たり前みたいに手渡され受け取ってきた、あの子のやさしさ。

星をあげたかった。それなのに、私はまた那須くんからもらって、抱えて帰った。



感情が整理できなくて抜け殻みたいになっていたまま、次の日、変わらない笑顔でテレビに映っている那須くんを見つめた。
番組の中で、「あ」から始まるとにかく大きなものを連想するとき、「アンタレス」と書いていた。ぴんときていない様子の共演者のみなさんに対し、まっすぐに「星です!」と言った。
聞き慣れた星の名前に、都合よく、運命だと思った。

大好きな、人生のバイブルの中にその星のことが描かれている。生き延びるために逃げ、結局井戸に落ちてしまい、こんなふうに死んでしまうのならばなぜこの命をくれてやれなかったろう、と嘆くさそりの話。
さそりは水の中で、祈る。「神さま、どうかこの次には、まことのみんなの幸のためにこの命をお使いください」。そう願ったさそりは星になって、さそり座の真ん中、"アンタレス"という赤い星になって今でも燃えているという。


私は那須くんに誰かの幸せを願うよりも先に、自分の幸せをつかむ人でいてほしい。誰かのカムパネルラにも、さそりにもなってほしくない。
でも、那須くんは10代の大切でかけがえのない年月も、多感だったはずの心も、20代になってからの自由で楽しい時間も、ぜんぶ失ったとは言わないけどきっとたくさん選んで置いてきて、自分自身を切り取り燃料にしてアイドルという星として光っている。自分のためだけじゃなく、応援している"誰か"のために今でもずっと燃えている。

そんなこと、とっくにわかっていたはずなのに。画面の中で綺麗に笑って星の名前を言った那須くんに、また気づかされた。
東京ドームでもらった星が、胸のなかでちかちかと瞬いているような気がした。



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お、おもて~~~~。重すぎる。
内容的に仕方がないのですが、お誕生日に贈るべき言葉ではきっとないなと反省しつつ、少し胸がすいている自分もいる。あの時のこと、傷や痛みだって言い切ってしまえたことに。
でもそれもずっとそばに置いて生きていきたいって思えるくらい、私はあなたを愛している、ということで。つまるところはね、結局そういうことを書き記しておきたかったんです。

最後に、少し前に読んだ小説の一節のお話をして終わります。(最長記録ですこのブログ)

星をあげる。いつだったかそんなことを考えていた。きらめく星を差し出せる男になる。そう思っていた俺は、ちっともわかっていなかった。星を受け取っていたのは、いつだって俺のほうだった。

星をくれてありがとう。 あとで、そう伝えよう。

幼いころ、主人公に思いを寄せていた男の子は、主人公の持っていた星のヘアピンを盗み "もっといい星を渡してみせる" と思っていた。でも、大人になって再会してやっと気づく。もらっていたのは自分の方だと。
あまりにも重なりすぎて、読んだ時にはらはらと涙が溢れた。気づかされたこのタイミングで、手のひらにぽとりと落とされたような言葉。

私も、忘れかけていた。いや、ちっともわかっていなかった。
那須くんを好きになってから今まで、どんな時でも。いつだって星をもらっていたのは、受け取っていたのは、私のほうだ。



どれだけ好きでどれだけ想っていても、私はきっと那須くんにとっての何者にもなれない。無数のペンライトの光のなかにただ佇むことしかできない。那須くんが望んだいちばん眩しくて永遠に光る、美しい星を渡せない。私はいつももらってばかりいるのだから。

でも那須くんがくれた星はいつだって私の中で燃えて、ぼんやり光っている。いつか、もらった星をぜんぶお返しできたらいい。それまでちゃんと綺麗な箱に仕舞って、大切にリボンをかけておく。いつかリボンをほどいて手渡せたらいいな。そして、星をくれてありがとうって、伝えたい。




那須雄登くん。星をくれて、ありがとう。
アイドルでいてくれてありがとう。光ってくれていてありがとう。

22歳のお誕生日おめでとうございます。あいしてる!

スターライト

「スターライト」という名前の色があるらしい。星月夜のように明るく輝く青色のことだそうだ。

アイドルとして舞台に立つ彼のしたたる光を追いかけたあの日。「こんなに光る子がいるんだ」と、人波に揉まれながらも目が離せなくなったこと。おそるおそる伸ばした手に応えて、見つけてくれたこと。今より少しあどけない笑顔を今でも覚えている。

まさに明るく輝く青色の光。それが那須くんだった。







今日で那須くんを応援しはじめてぴったり4年!出会ってからは約5年、毎年言っている気がするけど時間が過ぎるのはあっという間で、思い出をとりこぼさないようこうして書き綴る。

毎年この日は那須くんの好きなところを書いているので、今年もそうしようと思います。






魔法にあこがれる男の子を演じたことがある那須くんだけど(魔女宅亡霊)、那須くんこそほんとに魔法使いみたいだな、と思う。やさしい綺麗な魔法使い。那須くんがくれるあたたかな魔法が好きだ。


でもそんな魔法をうまく受け取れなくて、手からこぼれ落ちてすくいきれなかったこともあって。
この1年は、なんだか自分の心の弱さに負けて、那須くんを取り巻くもろもろに打ちのめされて泣いたことが多かった。
もちろん那須くんが悪いわけじゃなくて、すべて自分自身の問題で。色々な感情を抱くたび、こんな「好き」は渡せないと思うことが多くなった。それは単純な理由で、根も葉もない噂を振り払う力がなかったこと。自分が少しずつ年齢を重ねて周りが変わってゆくこと。自分の好きの形がどんどん変わることに、怯えているから。

私は自分の「好き」に自信がないのだ。「好き」をどうにか自ら認めたくて、汚くても綺麗でありたくて、一輪のバラにガラスの覆いをかぶせて磨いて愛でるみたいに大切にしているつもりだ。
でも、どれだけ心を奪われて惹かれても、好きでいていいのかな、なんて声がいつも頭の中から聞こえている。だからちょっとしたきっかけで、磨いたところがすぐにぼんやりと曇る。


知りたくもないことを目にして聞きたくもないことを耳にして、勝手に傷ついた。大事にしてきた庭に土足で入り込まれて、大切な花を守れず置いてきぼりにした。そんな罪悪感みたいなものがずっと、ずっとあって、つらくなっていった。好きでいていいのかな、このままでいいのかな。あんなに大事だったのに、今じゃこんなに小さくぼろぼろな花びらで。こんな花は、那須くんに渡せない。







そんなこんなでめそめそ泣いたり考えすぎで胃腸炎になったり(心身が直結しすぎている)した中で、ある日、那須くんが出逢わせてくれた女の子がハンカチをプレゼントしてくれた。綺麗な青色。まさにスターライトの色の生地にお月さまとお星さまと、きれいな白鳥と、それから那須くんのイニシャルが刺繍された、夢みたいに素敵なハンカチだった。

渡されたとき、 「あなたの好きの花を守る覆いになりますように!」 と言ってくれた。

魔法だ、と思った。私の「好き」は、こんなにもやさしくつながる。
那須くんが出逢わせてくれた人が、同じ本を大切にしていて、私の花を大事に思ってくれること。覆いをくれたこと。本当に嬉しくて、奇跡のようだと思った。





ずっと大切にしている本の中にこんな言葉がある。

「君のバラがとても大切なものになったのは、君がバラのために時間を費やしたからだ」

私にとって那須くんへの「好き」がこんなにも大事なのは、泣いても笑っても傷ついてもずっとそばにいて、時間を費やしたからなのだ。費やす、と言うとなんだか烏滸がましい気もするけど、好きだからこそこんなに想いを燃やして時間を費やして、花を守ってきた。
パフォーマンスの映像を何度も見てはここの歌が、ここのダンス、指先が!とたくさんの「好き」を口に出した。雑誌のテキストを読み込んでは、こんな考えをするんだなと感心したり、那須くんのタイプには私はぜんぜん当てはまらないなぁとへこんだ。新写真を一枚一枚アルバムにしまっては何度も宝物みたいに見返した。見つけてもらえなかったコンサートの帰り道、とぼとぼ歩きながら少し泣いた。




魔法みたいにやさしく、時にさみしく、好きが、人生がつながる。那須くんを好きでいて、幾度となく実感した。

何度も何度も私の手のひらに降り注ぐ魔法。


那須くんが朝の番組に出演したとき、青空にピンクのバラが咲いた映像を見て「ファンの方にバラを一輪プレゼントしたいと思います」 と照れながら言っていたの、本当にびっくりして、たまたまでも嬉しくて嬉しくて。

仕事が忙しくてへとへとだった時期、上司に言われた言葉にちくりちくりと心を刺されながら帰って、家に着いたら荷物が届いていて。開けてみたら、那須くんが載っている新聞だった。買ったことも忘れているくらい忙しくて、ああ頼んでたなぁなんてパラパラめくったら、見出しに「憧れで終わらせないための努力」の文字。はらはらと泣いてしまった。私だって憧れで終わらせたくない、と涙を拭った。那須くんみたいに光りたい。

会えなかったお誕生日。光が消えた帝国劇場を写真におさめて、また会えるから大丈夫ってとなえたのに不安で仕方なかった。お友達と別れて、電車に乗ってふぅと息をついてから何気なくスマホを見たら、キラキラした好きな人の笑顔があった。元気だよって伝えるためにわざわざ撮ってくれた、一日の終わりにかけてくれる電話みたいな動画。
その日のブログに私は何度も「届かなくていい」と免罪符のように繰り返し書いたのに、動画の中で那須くんは「みんなのおめでとうって想いはちゃんと、届いてるので。ひとりひとり」と言った。
きっといや絶対たまたまだけど、見透かされてる、と思った。本当に魔法使いなんじゃないか。この人にはきっと、一生かけてもかなわない。





すくいきれなくても、ちゃんと注がれていた。あのあたたかくやさしい魔法を、手のひらに落としてくれることが嬉しかった。何重にも錠前をかけて誰にも荒らされないよう守ってきた小さな庭に、那須くんがひとつずつ合う形の鍵を持ってきて開けてくれるみたいで、本当に勝手だけど幸せな気持ちになれた。

その庭には好きの花がある。決して強くはない花。だけど、大事にして時間を費やして、大切に守ってきた花だ。
想像で妄想でしかないけれど、那須くんもきっと、庭いっぱいに広がるお花の香りを喜んでくれるんじゃないかな、なんて思う。だって女の子がつける香水は「お花の香りがいい」って言ってたもんね!(もしカレ信者)







4年前の今日、あの夏のEXシアターで、初めての魔法をもらっていたのかもしれない。あどけない顔でにこにこと笑って、手を差し伸べてくれたあの指先から、スターライトの光を据えたキラキラの魔法をかけてくれたのかもしれない。


これからも魔法を忘れたり、信じられなくなる日が来るかもしれない。でもこうやって書き残すことで、ちゃんと綺麗に思い出したい。花を魔法を、勝手に大事にするね。

きっと一生、那須くんにはかなわない。ちゃんとわかっている。でも、那須くんだけは諦めたくない。届きたい、届けたい。いつかどうか、綺麗な花を渡したい。そんなことを願うのを許してほしい。



激重自我長文ポエム(最悪てんこ盛り)すみません!!
5ねんめもだいすきだよーー!!!!!

きみはきっと大丈夫


帝国劇場に立つ那須くんは特別に光って見える。身体の内側から光を放つようにきらめくその姿は、まるで燃えているみたいだ。

こんなにも特別に思うのは、初めて那須くんに会えたのがこの場所だったからかもしれない。外の光を含んできらきらゆらめくステンドグラス、何度も踏み締めたワインレッドの絨毯、ふかふかで落ち着く椅子に、それぞれの想いを持ち寄った観客たち。どきどき、そわそわした甘い空気がちょっぴりこそばゆい、そんな気持ちにさせるこの場所が好きだ。

たくさんのライトを集めて浴びてそれでも負けないくらいに光り輝く那須くんがとびきり特別な存在で、そして、とびきり眩しい。



1月16日、カレンダーに書いた21個の星マーク。何度この日をむかえても愛おしさがとめどなく溢れる。だいすきな人、憧れの人。最愛の人のお誕生日。

那須くん、21歳のお誕生日おめでとう。ちょうど1年前、はたち!?成人!?!?とびっくりしていたのもあっという間に時間は過ぎて、那須くんはまたひとつ年を重ねて大きくなった。


20歳といえばやっぱり節目の年齢であり大人になったと目にわかる数字だからなのか、私は20歳の那須くんを見ながら幼い頃の那須くんを思い出すことがとても多かった。

懐古と言えるほど昔の話ではないのに。出会ったとき、小さく華奢に見えた肩は少しこわばっているように感じたし、この子は色々な人やものに警戒心を持っているのかなとぼんやり思っていた。そしてたぶんそれは、間違いではなかった。
少し前に更新された動画で、「あの頃は全方位に尖ってた」と話していたね。それを周りの子たちも当然知っていて、そんなこともあったねなんて今じゃ笑い飛ばせることなんだろう。それでも私は、まだ出会っていなかったそのころの那須くんを思って胸がちくちくと痛んだ。

グループができたばかりのときの話を初めて聞いたときはかわいらしいなぁと笑っていたけど、まだ世間について右も左もわからないような年齢の小さな子どもが、異質な事務所の暗黙のルールみたいなものを理解してグループを守るために小さな手で大切に大切に繋ぎとめようとしていたこと。
笑うことなんて、もうできなくて。小さな手を、華奢だった肩を思って、心が押しつぶされそうになる。
好きになったときにはまだ持っていなかった怯えに似た感覚を今さら知ったのは、那須くんが大人になったからなのか、自分が歳を重ねたからなのか、わからないけれど。



でも、出会ったばかりのときのきりっとした目つきやひやりとしたオーラをちゃんと残したまま、那須くんはすっかり大きくなった。
大人になった那須くんは、ふんわりと、これでもかってくらいやさしい顔で笑う。その笑顔には「尖ってる」なんて言葉は似合わない、あたたかさがある。
大切なものを繋ぎとめようとしていた手も大きくなって、時には隣のメンバーの背中を支え、時には客席の隅々にまでぶんぶんと頼もしく振られるようになった。

まだまだ幼かったはずの心に自分で火をつけて、燃やして燃やして燃やし尽くして過去を燃料にして今でもずっと光り続けていることが、痛いくらいに愛おしくて。本当にやさしく、そして愛おしいって瞳で客席を見ているその時間が、途方もなく嬉しくて。

尖ってた、なんて言われた、那須くんは強くてやさしい大人になった。






大人になると自由が増えるけど、そのぶん世界が暗く見えることも多くなる。

これは本当に勝手な想像でしかないけど、那須くんは自身の弱さや影の部分をこちら側に見せないように努めてくれてるのかなと思っている。もしかしたらそんなことはないのかもしれないしこうやって想像されるのも不本意かもしれない。(ごめんね)
でも、理不尽な憶測や真っ赤な嘘が溢れた世界で生きる大好きな人を、心配せずにはいられなくて。こうして紡いで綴って願ってしまう。届くことはきっとない、なんてちっぽけな、取るに足らない私の言葉。

それでも、届かなくても。大好きだから、だから那須くんがくれた魔法の言葉をお返ししたい。那須くんだけに贈りたい。
大丈夫だよ、って。



まだ寒さも残っていた昨年の春、曇り空だったあの日、那須くんが私たちの手のひらに渡してくれた星のかけらみたいにぼんやり光るあたたかい言葉。「ぜったいまた会えるから、大丈夫だよ。」

コンサートが終わって、次の日の仕事に備えるため早々に会場を後にし走って乗り込んだ新幹線の窓際で。ひと息ついてから、それから何度も心でとなえた。本当に魔法みたいだったんだ。

大丈夫、大丈夫。また会えるから。大丈夫だよ。





昨年読んだ本で、海外の映画に出てくる男の子に憧れた子どものお話があった。そのお話は常に第三者視点から語られ、主人公は「きみ」と呼ばれる。

小さな町に住んでいる「きみ」は中学生で、まだ世界を知らないこどもだ。「きみ」は好きな映画に出てくる遠い土地に住む「かれ」のことを、想い続ける。家族に「こういうのがタイプなんだ」「外国人と付き合いたいの?」と笑われても、同級生に映画のチラシを取られてからかわれても、想うことをやめなかった。

最初は、「きみ」は名前なのかと思い、読んでいる途中で「君」なのかとも思った。でも、このお話の最後はこう締めくくられていた。

きみはこれから大人になる。胸いっぱいに抱えている憧れはたくさんのちいさなかけらになって散らばっていき、これから進む道のあらゆるところで、きみはふたたびそれらに出会うだろう。

きみがもうすこし成長してから手にする香水瓶に、かけらはある。動物園の七面鳥の羽の下に。はじめておとずれた大きな街の書店の棚のあいだに。偶然耳にするピアノの音とともに。
きみが手にするパスポートにはさまっている。降り立った遠い国の土の上に。濃い青色の空と地平線と、かわいた風の中に。

いつか綴りはじめるきみ自身の物語の一行目にも、憧れのかけらはひそんでいる。大切な、いとしいきみを、そこで静かに、じっと待っている。だからそう、今みたいに顔を上げて。
深く息を吸って、ゆっくりと吐いて。きみはきっと、だいじょうぶ。


読み終えて、ああこのお話の「きみ」は、「君」であり、「私」なんだと思った。読者が持つ憧れのかけらを思い出させてくれるような物語。

私も、那須くんのおかげでたくさんの憧れのかけらに出会った。好きになってからずっと、那須くんは私の憧れの人だから。
青色のかばんや小物に、お洋服に、職場で使っている那須くんがおすすめと言っていたボールペンに。たくさんの茄子料理に那須くんに会うために訪れた土地に、会場の客席に。憧れのかけらはひそんでいたんだよ。

そして那須くんもきっと、幼い頃からの憧れのかけらをたくさん拾い集めて歩いてきたんだろう。憧れの大きな背中を追いかけて生きてきたのだろう。

授業を終えてレッスンに走る銀杏並木に、青いボールペンで綴ったノートの切れ端に。
幾度となく袖を通した学ランに。たくさんのスパンコールと拘りが縫い付けられた衣装に。憧れの人にプレゼントしてもらった宝物のスーツに。
シアタークリエに、EXシアターに、帝国劇場に。
那須くんの憧れのかけらはひそんでいたのだろう。

そして今度はそれが、まだ単独では立ったことのないステージに、スタジアムに、東京ドームに、国立競技場に。まだ手にしたことがないデビュー曲のCDに。ひそんでいるんだろう。憧れのかけらはきっと那須くんに会えるのを楽しみに、静かに待ってくれているのだろう。

だから、大丈夫だよ。











…と、毎度のことながら重た〜〜くて長〜〜い文章になってしまいました。笑 まあね自己満ポエムだからね!(ほんとすみません)

あらためて、那須くん。那須雄登くん。本当に、本当にいつもありがとう。あなたは私の大切な人です。改めて書くと照れくさいけど(←こんな長いポエム書いてるのに!?)だいすきだし愛してます。


今年は公演ごとなくなってしまったから会うことは叶わなかったけど、元気でいてくれたらいいな。また絶対会えるから大丈夫だよね。
21歳もすこやかに、どうか楽しく笑って過ごせる日々でありますように。もっともっとスーパーキラキラアイドルを極めてたくさんの人に光を届けられる一年でありますように。

美 少年が一緒に笑っていられる日々が少しでも長く、できることならずっと続けばいいなと願っています。
そして私も、那須くんが、美 少年が描いた未来を点ではなく線で、見守ることができたらいいなと祈っています。






いつも、どんな舞台のどんな客席に座っても自然と視界に入る。かちりと音を立てて世界のピントが合う。とらえた瞳が、心が揺れる。きっとこれからも憧れのかけらを拾い集めて、想い続ける。

私のちっぽけな感情も言葉も、きっと那須くんには届かない。届かなくて良い。でも、魔法の言葉をとなえて想いをこめたペンライトの光だけでも、届いてくれたらいい。


本当に、どれだけ言葉を尽くしても足りないくらい、いつも感謝しています。お誕生日おめでとう。どんな舞台に立ってもその度に光って燃える那須くんを、今日も想うよ。
きみはきっと、大丈夫。

きらめきの引力

はためく衣装の裾から星が散らばる。胸にぎゅっとせまるようなときめき、一瞬のきらめき。

アリーナ単独公演という、はじめてのステージに立つ那須くんを見る。遠くから見つめた背中が愛しくてうれしくて、仄かにぼやけた輪郭が箒星の尾みたいで、ああ彼は、たくさんの人にとっての一番星なんだな。そう思った。




今日で那須くんを応援し始めてまる3年経ちました!出会ってからは約4年で、時の流れって本当に速いな〜と今年も実感しています。

なに書こうかな?と迷って、この一年の出来事を振り返った。那須くんあのときこんなこと言ってたな。あんなことして笑ってたな。文章に好きのかけらを落としていくたびに、ひとつひとつが大事で、思い出を重ねるのがうれしくて。

今年もやっぱり、那須くんの好きなところの話をしたいと思います。



スピード感、加えてなめらかで、とめはねはらいのしっかりしたダンス。
低いのも高いのも、稲穂が揺れる景色のように遠くまで心地よく響く歌声。

かたそうな髪に、短く切り揃えられた爪先。
かっこよくてかわいくて、それでいて優しい顔立ち。
通った鼻筋に、きゅるんと音が聞こえてきそうな口角、凛々しいまゆげと意志の強い瞳。
その瞳が、星が瞬くみたいにふわりと揺れる笑顔。



まあ毎年のことながら好きなところなんてありすぎてぜんぶ書ききれなくて、でも今の私が那須くんのここが好きだなと思うところは、唯一のきらめきの引力を持っているところ。

引力?引力って??と思われるかもしれない。でもどれだけ言葉の引き出しを探しても、愛用してる辞書をひいてみても、那須くんのあの特別な魔法はやっぱりこの言葉がいちばん似合うなぁと思った。

いんりょく【引力 attraction】

二つの物体が及ぼし合う力のうち,物体を互いに近づけるような向きに働くものをいう。


互いに引き合う力。この「互いに」がポイントです。

私にとってのアイドルは、引き寄せる力がある存在。引き寄せて抱きとめて、近くで、遠くで、心の内で、めいっぱいの光を降らしてくれる。
もちろんそれだけですごいことで、その光に救われたり勇気をもらったりすることがどれだけ幸運なことなのか身に染みてわかっている。

だけど、那須くんが持っているのは「引力」なのだ。引き寄せるだけじゃない、引き合う力。




それを実感したはじめてのアリーナ公演、Spring Paradise。私たちの春の訪れ。もう数ヶ月経つのに、今もずっと頭の中できらきらした音色が鳴っている。
あの日々の美 少年は、春を連れてきた風みたいだった。6つの風が奏でる歌声、跳ねるダンスが今も忘れられなくて、そして最後にひとりひとりが話す言葉がそれぞれの色を携えていたこと、手にとるように思い出せる。


私の特別な青い星を見つめる。




スポットライトが照らす暗がりのステージで、語りかけてくれる。


この日のために美容院とか、ネイルとか行ってくれたんでしょう? みんな、おしゃれさんだねぇ

6人に会える日を楽しみに、仕事を、学校を、生活を、毎日それぞれの場所で頑張って、めいめい着飾って会場に足を運んだ私たちにかけてくれた言葉。那須くんが隣に座って話してかけてくれているみたいな感覚になった。想っていてくれたんだとわかる。おしゃれさんだねぇ、なんて優しい顔で笑うから。


愛してくれるみんながいるから、学校も仕事も、精一杯、精一杯やれます

精一杯、を噛みしめるように繰り返していた那須くん。(でもこれレポ検索してみたら誰も言ってなくて私だけの幻聴だった可能性ある) みんながいるから、なんて、こっちのせりふなのにどうしたって優しい那須くんはいつも感謝を述べてくれる。那須くんが2年前の夏に話していた「頑張る人はかっこいいから、自分も頑張っていたいという思いがあるのかも」という言葉も一緒に思い出して、胸が熱くなった。私にとって、那須くんはいつまでも憧れなのだ。いつだって思ってるよ、「那須くんみたいになりたい」って。


みんなの消えかかった心を取り戻せるような存在になれたら

もう、なってるよ。何日やっても終わらない大量の業務を抱えて思わず涙が出てしまいそうだった残業中、ひとりぼっちのデスクで、那須くんを想った。窓の外を見れば、ビルの隙間に星が見える。なんとか仕事を切り上げて退社し空を見上げれば、月が光る。
昨年の私は「那須くんを支えにしない!」を目標にすると宣言していたけど、それができているかというと正直微妙だ。でもそれでいいのだと今は思う。
だっていつも心の真ん中にいて、灯台みたいに、一等星のように、笑っている三日月のように、蠍の炎のように、ぴかぴか光って導いてくれるのは那須くんだから。どこにいたって君を想う。


見つけてくれてありがとう

こちらこそ、見つけさせてくれてありがとう。光っていてくれてありがとう。好きになったばかりのときから、今でもやっぱり私は自分の"好き"の気持ちを肯定しきれないし自信もないけど。
でも、3年前の今日EXに行かなかったとしても、きっと見つけていたと思う。4年前、初めてちゃんと"那須くん"という人を見たときに「那須くん、っていうんだ、この子」とじわりと滲んだ感情に、きっとまた何度でも出会うだろう。那須くんを知らない自分にはもう戻れない。戻りたくない。
何度生まれ変わっても、何度目の人生でも、必ず那須くんを見つけ出したい。


だから、大丈夫だよ。

ぶわりと視界がぼやけた。周りにいた人もみんな青い光を手の内に宿して、涙を瞳に浮かべていたと思う。
あの瞬間、本当に空気がほどけたみたいだった。ああ、ぜんぶ大丈夫だなって思えた。なんてすごい人だろう。何度だって思い知る。かなわないな、この人には。

真っ青な光の海に放たれた、クジラが雄大に泳ぐみたいに大きくて心地よい波を生んだ那須くんの「大丈夫」。
那須くんが紡いだ言葉が会場の隅々にまで光を灯して、青いペンライトが揺れて、なんだか天の川みたいだなぁと思った。大好きな、人生のバイブルみたいな本の中にもこう記してある。

つまりは私どもも天の川の水のなかに棲んでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集って見えしたがって白くぼんやり見えるのです

この惑星から見たらただのぼやけた青白い点々でも、ひとつひとつが川の底の砂であり砂利の粒で、生命で、ちゃんと星なのだ。

星々を、慈しむみたいに見つめる那須くん。会場にいるみんながそれぞれの星を抱えて、那須くんの言葉に耳を傾けて、しっかりと刻んだはずだ。
コンサートの最後の挨拶であり、スピーチであり、対話であり、那須くんと私たちが引き合っているとわかった瞬間だった。




那須くんのはっとするような明度の高い言葉を聞くたび、「みんなのおかげ」と言ってくれるたびに、那須くんも私たちに会えて本当に元気をもらってくれてるのかな、信じていいよね?と思ってしまう。オープニングで姿が見えた瞬間に「会えてよかった」と泣いてしまいそうだったけど、那須くんはどうだったかなぁ。
あの星が瞬くみたいに笑った顔が、心から弾ける楽しい!会えてうれしい!の気持ちだったなら、そんなに幸せなことはない。




那須くんは私にとってかけがえない人であり、ちかちか光って導いてくれる星であり、振り返ればいつも見える場所で光るお月さまだ。


月は1年に約3センチ、地球から離れているらしい。まるでちいさな会場でかわいくお手振りしていた那須くんが、数千、数万もの人が押し寄せる大きな会場で歌い踊り、客席をきらめきの引力で揺るがすスターになっていく過程みたいでとてもうれしくて、そしてすごくさみしい。遠くで光っていてくれたら一番いいと思うのに、本気でそう願っているのに。

勝手に星にして月にして灯台にして道標にしているくせに、そんなことを思ってしまう。だってこんなにも好きなんだ。
いつかいつか、迎えに行く日を夢見ている。
からしいと言われても、その夢を運命と呼べる日まで、手繰り寄せつづける。不毛だとわかっていても、ね。








でも。50億年経てば月の後退は止まる可能性があると、最近知った。
月はまた、この私たちが住む惑星をやわらかな光で照らしてくれるのだろうか。当然、50億年後には私はもうここにいないけど、その未来を想像するだけでなんだか胸がすいた。




勝手に星にして月にして、こんな身勝手な心でも。青く揺れる光の海の景色が、那須くんの中の糧になってくれているのだろうか。なってくれていたらうれしい。
姿が見えないくらい、どんなに遠くなっても。

那須くんと、私の持つ小さな光る星が、引き合っていたらいい。地球上でたったひとつの引力。





この先もずっと心の内で、見えないほどの遠くで、きらめいていてほしい。
那須雄登くん、いつも光っていてくれてありがとう。大好きです。

光のよすが

(いつものことだけど暗いです、本当にお誕生日に更新するブログなの!?)(すみません)

那須くんの20歳のお誕生日、とってもとってもおめでたくてなるべく綺麗な言葉を贈りたいのにどうも言葉が詰まって出てこなくて。あれ、おかしいな。こんなはずじゃないのに。


思えばちょうど少年たちが終わったころ、び〜の怒涛のお仕事ラッシュが落ち着いた反動からなのか自分が仕事に慣れてきたからなのか体調をどっと崩して初めて会社を早退した。そこから年末にかけて時間も心も余裕がなくて、気づけば那須くんのことをぜんぜん追えなくなっていた。
変わらず好きなつもりだけど、あんなにいつも雑誌の発売や出演するテレビを楽しみにして毎日頑張ってたのにな、あのころと同じくらい好きでいられてないのかな、と悲しくなった。こんなふうに、知らない間に通り過ぎていくように、終わってしまうのかななんてこの感情の行き先のことまで考えていた。






あっという間に年末年始のお休みが終わって、仕事が始まって。これからまた毎日5時起きか〜…なんて考えながら身支度を整えて外に出る。
まだ薄暗い寒い朝の、つめたく澄んだ、落ち着く空気。この感じ、なんだか知っている気がする。
イヤホンをはめて自分の世界に閉じこもって、シャッフルで音楽を流せば、教えてもらわなければきっと知ろうともしなかった音が鳴る。


はっとした。
那須くんの、つめたいのにおだやかで澄んでいて、ほっとするような空気を纏っているところが好きだと思っていたこと。
憂鬱な通勤電車の中でイヤホンをはめれば、那須くんが好きだと言っていた音楽が私を守ってくれたこと。ひっそりとした、私だけの安らぎの時間。



ちゃんと考えてみればすぐにわかるのに。自分でも知らなかった。私は那須くんがくれたものを抱きかかえて、想って、暮らしてきた。

通っているネイルサロンのお姉さんに「やっぱり青がいちばん似合いますね」と言われて、すごくすごく嬉しかったこと。青は特別な色だから。
本棚でひときわ光る、那須くんが教えてくれた小説。時折読み返しては心を落ち着ける存在になった。
知らないうちに身についた、背筋を伸ばす癖。何度も見つめたあのぴんと張った背中を、どうして思い出さなかったんだろう。


変わったけれど、変わらない。想うかたちが変わっても、たとえ思い出さなくても、必死に追いかけなくても、那須くんがくれたものが降り積もって日常に溶けこんでいた。
当たり前すぎて、そんなことに気づきもしなかった。





一度ふたを開ければ弾けて溢れて止まらない。
夏、ステージの光を目一杯浴びて光ってる那須くんを見て、好きな小説のある場面を思い出していたんだっけ。

応援している俳優がいる主人公に対して"この歳になって芸能人を追っかけるのは擬似恋愛的な感じなのか"と嫌味な言葉をかけた人に、主人公が「疑似恋愛とかそういうんじゃなくて」「星みたいなものなんですよね」と返す。ああこれが答えだなと思ったんだ。
そして、那須くんが言った言葉を思い出さずにはいられなかった。

「美 少年として描く未来は…巨大な光になること。一番眩しくて、永遠に光る星みたいに。」




那須くんは、私にとって星みたいなものなのだ。どこにいるのかわからなくても、雲でかすんで見えなくても、何光年も先、遠くで光ってる存在。一番眩しくて、永遠に光る星。

どれだけ遠い場所にいても、見失ってしまっても、いつか本当に追いかけなくなる日が来ても。
私の知らないところで、ずっときらきらと光っているんだろう。誰かの希望を、未来を、照らし続けているんだろう。









「人生の目標はただ一つ。アイドルの頂点を極めることです。他の夢はありません」
そう言い切った那須くんの夢がぜんぶ、本当にぜんぶ!ひとつも余すことなく叶いますように。

「幕があいた瞬間は…うれしいとか楽しいよりも『あったかいな』って感覚で幸せでした」
久しぶりに会えたことを、涙が出るくらいやさしくってあったかい言葉で私たちに伝えてくれる那須くんが、陽のあたる場所にいられますように。

「5人の精神的な支えになりたい」「5人の笑顔を守りたい」
結成から今まで、変わらずにグループを守りつづけようと努力する那須くんが、5人を支えて、支えられて、たくさん笑わせて、笑って、箱庭みたいな大切すぎる場所を守れますように。







20歳。何かとできることも増えて、そして区切りの年齢でもあるのかな。大切な大切な10代の時間を、たくさん共有してくれてありがとう。


光がたくさん降る場所にいられますように。選択肢に溢れた人生を送れますように。





那須雄登くん、20歳のお誕生日おめでとうございます。
大好きです。

特等席

那須くんを応援し始めて、今日で2年経ちました〜!!イェーイ!!ナスを好きでよかった!このままずっと死ぬまで那須担〜!!の気持ちです。(那須担のウ…フ…ズ?)

3年前那須くんを見つけて1年近くなんだかんだと理由をつけながら抗い続けたけど好きになったら一直線、ここまでやってきました。あっという間ですね!

何書こうかな〜ってiPhoneのメモ(那須くんもメモ機能でブログを書いてるらしいので)(担タレ目指してる)に書いては消し書いては消しぐるぐる考えて、そういえばと思い出して昨年の今日書いてたブログを読んでみたら好きなところを書き連ねていて、1年前のわたし那須くんのことめっちゃ好きじゃん!?となんだかくすりとしてしまった。あの時の那須くんは私の支えで好きな人で、憧れだったなぁと。 心の真ん中に那須くんがいてくれることは今も変わってない。
だから今年も好きなところについて書きたいと思う。いっぱいありすぎて書ききれない、那須くんの好きなところ。
特にこの一年は、"好き"の答え合わせをたくさんしてきた気がするな〜〜






改めて考えてみる、那須くんの好きなところ。
昨年は人柄について挙げて、今でも那須くんの好きなところってどこ?って聞かれたらぜんぶ!(食い気味)と言いたいところだけど大体は性格、人柄が好きですと答えることが多いと思う。

でもね、同じくらい、那須くんの持つ空気が好きだなぁとここ1年間で前よりもっともっと思うようになって。



那須くんの持つ空気。那須担ならきっとわかるあの感じ!ひんやりしてるのにあったかくて、静かな眩い光。

その那須くん独特の空気を感じることってやっぱり現場が多くて、同じ空間にいるときにぱっと光っている人がいて「あ、那須くんだ」って気づく。ステージにどんなに人がいても、似た衣装を着てても、すぐにわかる。私が那須くんを怖いくらい好きだからかもしれないけど、本当に魔法にかかったみたいに、私の目線が那須くんに結び付けられているのかと思うくらいにすぐに見つけられる。


このご時世だから現場自体少なかったけど、コロナ禍になって初めて行った現場であるDREAM BOYSで心底、本当に心底、那須くんって私の光そのものなんだなと思った。
1年ぶりに訪れた帝国劇場で赤いカーペットを踏みしめてふかふかの椅子に腰掛ければ、綺麗な照明の中で幕が上がって歌が聞こえて、物語は始まる。その久々の感覚に圧倒されて震える手であわてて持った双眼鏡を覗くと、小さな視界に映る、光を纏う男の子。
そのとき、かちり、と小さな音が鳴って、焦点が合って世界が変わる。あの瞬間が本当に好きで好きで、この一瞬のために生きてる〜〜って噛み締めた。
白い衣装に身を包んで歌うNext dreamで、那須くんは必ず二階席に視線を向けて天を仰いでいた。まるで空を夢見る少年みたいに。





空を夢見る少年といえば〜〜、魔女の宅急便!トンボ!きっと一生忘れられない、忘れたくない思い出。

人懐こい性格とかわいい仕草、伸びやかな歌声はまさにトンボそのもので、でもその中に少しの那須くんを垣間見ては安心した。
晴れやかな笑顔や明るく春色に染まった髪、やわらかな指先に、また「ああ、ちゃんと那須くんだ」って思って、それは役になりきれてないとか芝居がどうとかじゃなくてきっとその場に那須くんがいて那須くんが演じてる、ってことに意味を持たせたい自分がいるから。それってどうなんだろう〜〜よくないことなのかな〜〜って苦しくなることもあったけどやっぱり那須くんが好きで那須くんしか出せないあの空気とオーラが好きなので、きっとこの先那須くんがどんな役柄を演じても滲み出るきらきらを勝手に拾い集めて大事にし続けるんだろう。


千穐楽でうるませた瞳いっぱいに光を取り込んで歌い夢を叶えたトンボ、那須くんのその姿に私もわんわん泣いてしまった。公演前ぱらぱら降っていた雨が会場を出るころには止んで薄い水色の空にぽっかり月が浮かんでて、一緒にいたフォロワーと月が出てるね私たちにとっての那須くんだね〜なんて話しながら帰った。











と、まあね!相変わらず那須くんのことが大好きなんですけど。

急に話を変えてしまいますが、私は4月に社会人になりました。
通勤に片道2時間かけて働く毎日、正直しんどいな〜〜と思うし魔女宅大千穐楽のころはまだ働き始めて1ヶ月も経ってなかったので、ストッキング越しに見える靴擦れを電車の中で眺めては、つらい、やめたいって言葉を我慢して泣きそうになってた。それでもそのときは魔女宅あるし、私の支えである那須くんがいるし、って思ってた。


でもね、魔女宅の大千穐楽を終えてから、なんだかちょっと気持ちが変わって。
過去のブログに「那須くんは私の支え」って書いていてそれも絶対間違いじゃないしそのころの自分の大事な気持ちを否定したくないんだけど、今はそう思ってない。"支え"にはしない。
なんで?と聞かれるとどう言えばいいのかわからないけど、遠い存在だからかどうしても神格化してしまっていたことに、子どもみたいな、いや本当は年相応なんだよね、そんな顔で泣いたあの日の那須くんを見て初めて気づいた。奥からふつふつと湧いてくるような、見て見ぬ振りしてた感情に気づいた。
寄り掛かりすぎてる、って自覚して怖くなった。私は何やってるんだろう?って思ってしまった。






と言いつつ、やっぱり那須くんがいるから頑張れるし救われてるし光だし希望だし(重)大好きだしあいしてる〜〜って思ってるんですけど。そこは全く変わってないんですけど。


うまく言葉にできないけど、"支え"じゃなくて、ずっと私の心の特等席に座っていてほしいなと思う。
それこそ帝劇みたいなふっかふかの特別な椅子にね!!

心の真ん中に、人生の軸みたいなところに那須くんがいてほしい。あの何もかもとろけさせるみたいな顔で笑っている那須くんを私の真ん中に据えていたい。

数えきれないくらい救われてるし支えられてるけど、やっぱり一人で立っていられるようになりたくて。私の担タレなところ、荷物が多くて肩こりがヤバいところくらいしかない(笑うところ)ので、憧れである那須くんの頑張る人はかっこいい!って気持ちを私も諦めたくない。
通勤が長すぎてつらいとかうまく馴染めなくてつらいとかすぐ弱音を吐くけど!魔女宅の大千穐楽が終わって気持ちが変わったあの日から、自分で選んだ道だからねがんばろうねって奮い立たせてもう3ヶ月経つ。


仕事を任されることも増えてきて忙しいけどなんと私忙しい方が性に合ってるみたいだし胸ポケットに那須くんおすすめのボールペンをさして頑張れてるので最近ちょっと楽しい。通勤時間は長いしそのせいで朝も超早いけど那須くんも同じくらいの時間に起きてコーヒー飲んでるんだって思うと嬉しい。電車の中で窓に切り取られた朝焼けの東京を見て同じような景色を見てるかもって思って幸せ。


今までだって、楽しいとき嬉しいとき那須くんを想っていたけど、色濃く思い出すのはいつも私が泣いているときだった。

だから。つらいときの"支え"じゃなく、涙をこらえて苦しいときだけじゃなく、これから先は一人で立って、楽しいとき嬉しいとき幸せなときふと思い出す存在が那須くんであってほしい。
那須くんはスーパーキラキラアイドルでありヒーローなのできっとこれからも救われちゃうし支えられることだってあるけど、楽しいことばっかだったな!嬉しいことばっかだった!って那須くんがいる幸せな日々を指折り数えたい。












出会ったころは、緊張しているのかな、こわばっているなと感じていたかたそうな指先はいつしかこれでもかというくらい柔らかくなって、魔法使いのようにきらきらした粒を放って軌跡を描く。光をいっぱいに集めた瞳で遠くを見上げて、晴々しい顔で笑う。
ステージに立った那須くんの纏う光を見つけるその瞬間が何より好きで、この一瞬を糧にして自分の日々を頑張りたいなと思わせてくれる。憧れの那須くん。大好きでかけがえのない人。



最終的に自分の決意表明(?)で締めてしまうことになったけど!

これからもよろしくお願いします、那須雄登くん。大好き!あいしてる!!

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玉結び


那須くんの、時間の流れや季節の移ろいを大切にしているところが好きだ。夜更けに屋上に出てお気に入りの音楽を聴きリラックスする時間のこと、暑い季節になれば思い出す「夏の匂いが好き」という話、冷たい空気とその匂いから冬の訪れを感じ「散歩とかしたくなる」と伝えてくれたブログ、毎日朝早くに起きてぼーっとコーヒーを飲む習慣のこと。
落ち着かない日々の中で、仕事に学業に忙しい那須くんの時間はせわしないのかと思えば、それは少し違って。那須くんの時間はわたしが思っているよりゆっくりと流れているのかもしれない。
重なってゆく毎日を縫い合わせるように、季節と時間を編むように生きている人だな、と思う。




那須くんが19歳になる。その事実を噛み締めるだけで、心のやわらかいところを四方八方からつままれているような不思議な感覚になる。うれしい。いとしい。なぜかちょっとさみしい。でもやっぱりうれしい。

18歳の那須くんはそれはそれはもう光り輝いていて、毎日が「あたらしい那須くん」に溢れている日々だった。テレビ、雑誌、YouTubeに島動画…那須くんを見ない日のほうが少なかったような気さえしてくる。


18歳の那須くん。
冬。髪を金色に染めて、ドラマに初出演した。ブリーチが痛かったと苦笑しながら嬉しそうに話す姿が愛おしかった。
春。高校を卒業し、大学に入学。最後の制服姿をわたしたちに見せてくれて、ブログにも卒業式の写真をあげてくれてその優しさが大好きだと思った。入学式用に憧れの人に買ってもらったスーツはどんな色味でどんな着心地かな、いつか見てみたいなあ。(欲深くてごめんね!)
夏。6人でドラマ主演を果たし、最中に単独コンサートもあった。真夏の少年最終回で、那須くん演じる柴山道史くんは「あなたの責任感には愛情がある」という言葉をもらっていた。道史くんにも、那須くんにもぴったりな言葉だなと思った。サマパラでは耳かけ那須くん!をひさしぶりに見られて那須担みんなで大喜びしたっけなあ…本当に楽しい時間ばかりで、「この夏が永遠に続けば良いのに」と願わずにはいられなかった。
秋。憧れの人の、憧れのグループの、バックについて踊った。大きな背中を見つめて嬉しそうに楽しそうに、口ずさみながら踊る那須くん。きっと色々思うことがあっただろう、那須くんの気持ちを想像することはできないけど、大事な大事な瞬間を見ることができてよかった。そしてドラマ出演!前向きに一生懸命お仕事を頑張る働き者の姿が毎話かわいくって仕方なかった。
時がたって、また冬。DREAM BOYSで大役の弟役を演じることに。歌もお芝居も驚くほど上手になっていて、「明るく活発、健気でかわいい弟のユウト」を全身で演じきっていた。わたしだってユウトにならいくつでも心臓あげたいよ〜!!なんて感情を飼い慣らすはめになった。


書けば書くほど、思い出が溢れてきて止まらない。18歳の那須くんがくれた宝物がたくさん、たくさんある。



思い返してみれば、テレビ雑誌動画諸々を見たときだけではなく、ふとした瞬間に那須くんを想うことが増えた。以前からそうだったけど、昨年からはとくに多くなったような。
那須くんがわたしの頭の片隅、生活の中にいつもいた。


たとえば。
昨年のわたしの大きな出来事といえばやっぱり就職活動なんですが…も〜しんど!やめたい!!無理!!とすべてを手放して逃げ出したい毎日をどうにか頑張れたのは、好きな人、那須くんの存在があったからで。

どんなに心配でも不安でも「大丈夫だよ」と重い荷物を肩からおろしてくれるような、「つらいときは休んで、また明日から一緒に頑張ろう!」と背中を押してくれるような、そんな優しさを持つ那須くんを想えばいつだって勇気をもらえたし、背筋を伸ばすことができた。すごく勝手で自分本位だけど、那須くんの存在がいつも糧になってわたしを支えた。

面接に向かう道、こわばって冷たくなった指先をじんわりとあたためてくれた魔法、サマステで披露した「このままもっと」。
不安に押しつぶされそうで眠れない夜、リラックスするために見てたくさん笑った美tube。
もう頑張れない、ってへこたれそうになったときなぞるように読み返した那須くんの言葉たち。



たくさんある、思い出す瞬間。いつのまにか勝手に救われていた瞬間。せわしない時の流れの中で、心の真ん中、かたくなっていた芯がやわらいでほっと息をつけるような、那須くんを思い出す時間。


時折、理想を押し付けてやいないか不安になる。自戒しておかなければならない。「絶対」も「ずっと」も、「永遠」もないということを。

わかっているんだけど、でも。
祈りたくなる。那須くんが心の真ん中にいてくれる日々を。願いたくなる。那須くんが落としてゆく一瞬のきらめきを拾い集めながら、光あふれる未来を見据えて線の上を歩くような毎日を。






19歳になったんだね。10代最後の一年、おとなのような、子供のような。
いつかもっと時間が経って那須くんが正真正銘の大人になって、わたしも歳をとったとき、思い出せるかなあ。19歳だった自分のことは鮮明に思い出せないけど。

18歳の那須くんを想い続けたこの一年間と同じように、思い出ひとつひとつが編み込まれた日々を縫い合わせるように、ほどけないようにしっかりと心に結んで留めて。19歳の那須くんがいた時間を折りに触れてまた思い出したい。あふれそうな想いをこぼしながらでも抱きかかえて進んでいきたい。
そんなことを願ってしまっています。



季節のうつろいと共にある思い出をひとつひとつの点とするなら、小さな点をブルーの糸で縫うような日々。
点は線になってつながり、その線が道標になる。編むように重ねた想いも一緒に連れて。



那須くんの歩いてゆく道が光と希望に溢れたものになりますように。どうかすこやかに過ごせますように。お誕生日おめでとうございます。
大好きです。


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